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RAIKAブログ#4

こんにちは!
水曜12:00〜13:00のセルフケアヨガを担当しているRAIKA(ライカ)です!
Blogは火曜日の担当です。

今回は、ヨーガの「ヤマ(禁戒)」より「アヒンサー(非暴力)」について考えてみました!

ヨーガを深めるにあたって、してはいけないと禁じられていることの一つです。

暴力、というと、手をあげる、痛みをあたえる、などの身体的なものが分かりやすいですね。

ですが、最近、最もむつかしい暴力とは、無意識なのだと思うようになりました。

私たちは、自己、以外には認知の術を持っていません。
自分以外の他人の五感を、何の境もなくまったくそのままに受信することは不可能です。

その「自己という認知しか持たない」ということが暴力になりうる、ということを学ぶ機会が、私の人生の中では多いように感じています。

たとえ悪意がなくても、自己の認知で、他人の無意識に踏み込むことは「暴力」だったなあと反省します。

他人の無意識に踏み込む暴力、一番分かりやすいものは「洗脳」ですね。

自分の望みを、他人に対して本人の望みであるかのよう心理操作をし、無意識を誘導すること。
線引きが難しいですが、暴力とも言えるのではないかと思うのです。

他人の無意識に踏み込む暴力、ということで話題になっているなー、と思う例をいくつかピックアップします。

・目鼻立ちのはっきりした顔立ちの人に、出会ってすぐ「ハーフ?」と尋ねること
・他人に対して「男らしくしろ」「女らしくしろ」など性的特徴を当てはめること

これらについては、神経質すぎる、いや、思いやるべきだ、色んな意見があります。

皆さんはどう思いますか?

私は、善か悪かより、気づいているか気づいていないかの方が大切なのではないかなと思います。

人種というルーツを自分が持っていること、他人にもそれがあること、気づいているか。

男や女という差異があり、さまざまな受け止めかたがあることに、気づいているか。

その事実に気づいていれば、言ったか言ってないか、傷つくか傷つかないか、正しいか正しくないかの水掛け論にはならないのではないかと思うのです。

「自己という認知」だけでは乗り越えられない、相手という認知に、自ら、気づこうとできるかどうか。

それがいずれ、「非暴力(アヒンサー)」に繋がるのだと信じています。

日々、ものすごいスピードでやりとりされている情報の中、相手という認知を想像し、「非暴力(アヒンサー)的態度」を瞬時に繰り出すことは、とても頭の良い、瞬発力のある方しかできないのではないか、、、

本当に、わたしに「非暴力(アヒンサー)」は実践できるのか。正直、とても自信がありません。

私は思考の咀嚼がとてもゆっくりで、相手の気持ちや立場もうまく想像できず、間違えてしまうことばかりです。

けれど、少しずつ、「非暴力(アヒンサー)」できるようになりたい。

きっと、そうして努力していくことは、習慣になって、性格になって、魂になっていくのかなと。

挨拶とか、言葉遣いとか、そういった「人あたり」だけではなく、その人そのものである「無意識」に気づき、尊重して、傷つけないこと。

頑張ってみます。

少し話はそれますが、
私のお名前のRAIKA、は漢字で書くと雷夏なのです。

雷や、鬼のグッズをよく買います。

有名な童話『泣いた赤鬼』も、「非暴力(アヒンサー)」についての問題が浮き彫りになっている、象徴的物語かな、なんて思って載せてみました。

今週のセルフケアヨガはお休みです。

また来週、一生懸命がんばります。
よろしくお願いいたします❤️

京都のヨガスタジオTerasu

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