Blog

MASAYOブログ#11 揺り籠から墓場まで

以前母の事をブログに書きましたが、 母の生き様、死に様を考えていて、ふと思った事がありました。

多分両親の死に添えなかったら、まだこういう事は考えなかったかもしれません。

私は、 『生まれ変わりがあればいいなー。』 と思っています。
最近人気の絵本作家さんが書いている本の中で、もしかしたら、 亡くなったおじいちゃんは「生まれ変わりマシーン」で生まれ変わって、そこを歩いてる猫かもしれ ない。

風で転がるビニール袋かもしれない。 りんごかもしれない。 という文章を楽しい絵と共に笑いながら読みました。
それが現実だったらいいなぁと思います。

亡くなった両親や祖父母がその辺にいたら愉快です。 亡くなった人も、この世で生きてる人も、お互い遠い所にいるイメージがくつがえされます。 天国と言ってしまうと、交わる事のない所で見守ってくれてる印象です。

生まれ変わる物が選べたらいいけど、選べばないかもしれませんね。
ある本には、人間は何度も人間に生まれ変わって、魂の成長を続ける。それは前世で出来な かった必要な成長の続きである。
と、書いてありました。

生まれ変わりは、今世で家族の人、知人が夫婦逆になったり、親子逆になったりして、まーまー 近くの人の中で関係性を変えて生まれ変わると書いている本もあります。
私、結構こういう本を読んでるんだなぁ。久しぶりに本棚から出してみました。これらを読んでいた 自分が迷走状態だった頃も思い出しました。

肉体はただの箱で魂が入っている。 死んだら、肉体をじゃーと脱いで、魂になって、肉体に縛られない所で存在する。 なるほど。

そうだとしたら、人間として肉体を持って生活しているわずかな時間はかなり貴重な時間なんだろうな。

肉体という服。 それなら、おしゃれな服を着ているのは、肉体という服の上に重ね着してるんですね!?
わたしの妄想が止まりません!!

こうなったのは 両親が死に様を見せてくれたからです。
不思議でした。
母のことです。
苦しんでいた数日。

なんとなく、お別れが来るのが分かります。 母は亡くなる数日前に、呼吸が苦しくなって、薬で寝ることが多くなりました。
ある時目を覚ました時に、 「あー死ぬかと思ったー!!」「びっくりしたわー!」と言いながら目を覚ましました。

お母さん。 苦しくて可哀想だし悲しいけど、そのセリフを今聞いてもなんとも言えないよ〜。 お母さんには悪いけど、お母さんらしくとても天然なセリフで。

私達は母の最後まで天然な姿に微笑みました。ごめんね!母ちゃん!苦しいのも分かってたか らね。
母は痛みが強くて、私の手が折れるのではないかというほど握ってくるのに言葉では言わず、痛 みを堪えていました。

最後の3日間、やっと我儘になってくれて、苦しさを訴えてくれました。お母さんったら我慢屋さん だったね。最後まで娘には弱い所を見せないようにしてたね。

でも、ここまで苦しんだのに、まだ死ぬとは思っていなかったんだろうなぁ。
夜中に目が覚めた時、付き添っていた姉に 「あら~私死ぬのかしら?」 と独り言のように言ったそうです。

亡くなる時に母はゆっくり全てを手放し解放しました。
まず痛みを堪える事がなくなり、痛みに抵抗する力がなくなりました。 私達にしがみつく力は弱くなり、力を抜いた様子は自ら痛みを手放したようでした。

呼吸ができなくて浅い呼吸を懸命にしていましたが、 呼吸ができない事に反抗しなくなったように、胸の動きは静かに穏やかになりました。

心臓の動きがゆっくりになっていきます。 それもなんだか、楽になっていくようでした。

全身の力が抜けて、抵抗をやめた母。
それは命が途絶える時なのは分かっているけど、 もう力入れなくていいんだね。とも思いました。

そして母は自ら力みを全て手放し、箱になりました。
肉体だけになった母を見て、
「この瞬間からすぐ傍に寄り添ってくれていて、身軽になっているんだろなぁ。」と感じました。

声が聞けない。もう母の匂いは嗅げない。話す事もできないけど、すごく近くに居そうだ!
そう思うと、どの位の期間か分からないけれど、 母が産まれ変わる時が来るまでその辺りにいるのかな?

悪い事はできないなー!! でも、口出しできないからやっちゃえーー!! と、やりたい事を始動しつつ 「口出しできないからしょうがないね」と 母の写真に手を合わせながら言ってます。
生まれ変わりが来る時はまた肉体の服を着るんだろうか。 どんな服を着るんだろうか。
ふふふ。

死に様。 そういう所を見せてくれた母。 色々感じさせてくれた母。
身勝手にも最高のお別れだったと後悔はしてない。
次に生まれ変わったら母が夫だったり子供だったりするのかな。 ちょっと想像できないな。
できれば遠慮したいです。また生まれ変わっても一癖ありそうです。

生き様は記憶の範囲で残された親族などで話しますが、死に様はなかなか語らないものです。 でも、私は母とのお別れでいっぱいの事を教えてもらった気がしています。

母の今世での歴史がある。 生き様がある。 死に様がある。
良い、悪いはありません。 でも母の生き様は私達に大きな影響を与えています。 そして死に様で命というものを教えてくれました。

 

 

後悔というわけではないですが・・・
最後は何もできなかった。という思いが小さくあります。 ヨガのティーチャートレーニングを受ける準備 をしてる時で
母に「一緒にヨガをしよ。」
と言っても もうその気力もありませんでした。
もうここまで来たら太刀打ちできない。 そうなの?
それでいいの?
自問自答。

母の死を目の前にして自分の中でお別れへの整理はできていきました。 ヨガの思想の中から手助けが多くありました。
ポーズを取る事はできなくても、呼吸や何かしらの形で死にゆく母にできるとしたら・・・。

母は自ら最後に、私がヨガの中で学んだ事を、実際に見せてくれたように思います。
ベビーヨガやシニアヨガ、またヨガセラピストという学びもあります。
ヨガが身体を動かすだけのものなら、年齢制限や病気の程度も関係してきます。

〚ゆりかごから墓場までヨガ〛 なんだかできるような気がするんです。

身体を動かす事がヨガではない。
母が私にヨガとは?と投げかけてくれているように思います。
そして、私自身がヨガの捉え方に偏りがあったと思います。
〇〇じゃないとヨガをしたらダメ。

自分がもう少し病がよくなったら、元気になったら。 そうやって怖がっていつまでも踏み出せませんでした。
ヨガは括付けなどなく、扉は大きく開いていて、どんな状態でもその人に一番良い形で寄り添える ようなものなのではないかなぁと思います。

まだまだ未熟。お腹いっぱいヨガを学び、栄養を付けていきたいです。 答えがなくてごめんなさい。まだまだ勉強中です。
よし!本も読もうっと。埃かぶってないかな?大丈夫!!

 

【体力アップヨガ】 毎週水曜日 12時‐13時 次回は3/20(祝)です。

» ホームへ戻る