Blog

女医ヨガインストラクターSEIKOのヨガブログ :正しい態度☆

毎週土曜日13時から コミュニティークラスでトリートメントヨガを担当している

女医 兼 ヨガインストラクターのSEIKOです!

今日は、正しい態度について医師目線からお伝えします。

先日は、クラスで大事なテーマのご質問をいただきました。今日はお答えした内容に少し補足しながらお伝えしたいと思います。

まず、ケガのお話からです。

ヨガのポーズには関節の可動域の広さや高い柔軟性が必要なものがありますが、急いでポーズの形を追うことで怪我をしたり、痛めてしまうことがあります。特に、関節に問題がある方はより注意深く、無理がないように練習を調節したり緩めることがとても大切です。

今回は、膝の痛みがある場合、我慢しながらポーズをとっても良いでしょうか、というご質問を頂きました。

結論から言うと

医師目線では、痛みがある状態で無理してポーズをとることは絶対にやめましょうとなります。

(こちらは大切な注意喚起になりました。質問して頂き、本当にありがとうございます。)

理由は、

関節内は血流が乏しく、靭帯や軟骨など一度痛めてしまうと落ち着くまで時間がかかり、その後も繰り返しやすく悪化もしやすいです。また活動の範囲も制限されます。

既に痛みがある、つまり弱っている部分に、さらに負荷をかけたらどうなるでしょうか。回復がさらに遠のいてしまうのと、日常生活で自立して身の回りのことをすることが難しくなる可能性も出てきます。それは体力・気力にも影響します。これらを一言で言うと日常生活の質が低下する、と表現されることもあります。このように大人の怪我は簡単ではなく、慎重な対応が望まれます。

MEMO

より健康な状態を目指してヨガをしている方が、怪我をすることで身体の不調や動きが制限されること等ないように願っています。

ヨガで怪我をすることから、私が連想するのは、医原性という言葉です。身体の不調を改善するために医療機関にかかったものの、結果的に医療の介入により正常な身体の組織が傷ついてしまう、病気が悪化する等の健康上の被害を被ってしまうことがあります。

医療従事者にとっても最も避けたい状況ですが、私にはこれらが似ているように思えます。どちらも決して起こってほしくないことです。

では、なぜ怪我をしてしまうのか。そこには態度や考えの癖、という要素も関係します。

例えば、伝統的なヨーガでは、安定・快適な範囲でポーズに留まるという古典書の通りに練習するため、痛みがあればいつでもポーズを緩めます。本来は怪我は起こらないことですし、実際に創立100周年を迎えたカイヴァリヤダーマヨーガ研究所で、今まで怪我をした人はいないそうです。(凄いことですね。)

しかし、一般的にヨガの怪我はよく耳にすることでもあります。

そこには頑張り過ぎる癖が練習に表れているのかもしれません。

実際、私たちは本当に頑張り屋さんです。

以前はどこか痛くてもそれを隠して頑張るのが当たり前、それが美学とされる文化があったように思います。テレビでも鬼のように厳しいコーチに鍛えられ、歯を食いしばって練習を頑張り続ける主人公の成長ストーリーがあったり。(私も、遠い昔にバレーボールの某ヒロインに憧れたものです。)

 

時代は移り変わり2025年。

働き盛りの世代を中心に心の病気が著しく増加しているのは、何故なのでしょう。

理由は一つではないでしょうが、例えばうつになりやすい性格として真面目だとか自己犠牲、他者への気遣いなどが言われているように、頑張りすぎて疲れてしまっている人もいます。

もちろん頑張ること自体は素晴らしいことです。ただ、頑張ることが当たり前の習慣、どこで緩めたら良いのかわからなくなっている状況もあります

頑張っていない(怠慢だ)と他の人に思われないか、あるいは自分はまだ十分頑張れていない、と休むことを自分に許すことができない。努力を重ねてきているし、誠実な方だからこそ、そんな傾向があるかもしれません。

普段から頑張っている方にこそ、怪我はしてほしくありません。

ヨーガの練習には、ギリギリまで頑張りすぎる手前で、自分に十分頑張っているねと許してあげる、自分に感謝すること、そんな心地よさや癒しに繋がるヒントがあります。

何故なら、ヨーガのポーズを取る上で重要なのはポーズの美しさや最終形を取れているかではなく態度だからです。伝統的なヨーガの先生は、何となくポーズを取るだけでは意味がない、態度が伴われなければ、アーサナ(ポーズ)は台無しになると言われます。つまり、練習を深めたり、効果を得ることが出来ないと言うことです。

では、どんな態度でポーズを取るのでしょうか。

特に大事なのは、自分に対して暴力的にならない、正直でいる、ということです。

これはヨガ哲学の中の大切な基盤となるヤマ・ニヤマという考え方の最初の部分からきています。無理してポーズをとったり必要以上のキープや努力をしようとしていないか、丁寧にゆっくりと動き、呼吸・身体・感情を観察できているか、実際に受けた実技試験でも、先生はそういうところを鋭く見極め、評価されていました。

健康と幸福は私たちが生まれながらに持つ権利。ヨーガの先生の言葉です。

そこにはまず、自分への癒し、自分を許すこと、自分を慈しむことから、と私は感じています。

クラスでは快適な範囲で丁寧に自分の練習をします。そこで自分を頑張っていないと責めることはありません。そして、ヨーガでは自分の練習を真摯に定期的に続けていきます。(つまり、ヨーガの練習は楽でもなく努力も必要です。)

心地よい新しい感覚があるかもしれません。

安心感、リラックスする気持ち、あるいは自然と自分に対して、周りに対しての感謝の気持ちが湧いてくるかもしれません。

ヨーガは経験の科学です。

トリートメントヨガにてお待ちしています。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

いつも、ありがとうございます!

SEIKO

» ホームへ戻る