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【読むヨガ】処暑 末候 禾乃登(こくものすなわちみのる)
2026年9月2日〜9月7日、七十二候のひとつ、禾乃登(こくものすなわちみのる)
「禾(のぎ)」とは、稲や麦など穂をつける穀物のこと。
田んぼでは稲穂が実り、少しずつ頭を垂れ始める頃です。
春に蒔かれた種が芽を出し、夏の日差しや雨を受けながら成長し、ようやく実りの季節を迎える。
私たちが目にする黄金色の稲穂の中には、何ヶ月もの時間が積み重なっています。
季節はいよいよ、育てる時間から、実りを受け取る時間へと移っていきます。
実りは、突然やってくるものではない
稲は、一日で実るわけではありません。
芽を出し、根を張り、葉を伸ばし、穂をつける。
雨の日も、風の日も、強い日差しの日も、その場所で少しずつ成長を続けてきました。
私たちも同じです。
何かができるようになったとき。
以前より心が穏やかになったとき。
身体の変化に気づいたとき。
そこには、その瞬間だけではなく、これまで過ごしてきた時間があります。
結果だけを見ると突然の変化に思えても、その前には、目に見えない積み重ねがある。
禾乃登は、そんな当たり前だけれど忘れやすいことを思い出させてくれます。

ヨガは「積み重ねる」もの
ヨガも、一度の練習で完成するものではありません。
同じポーズをしていても、昨日と今日では身体が違う。
呼吸も違う。
心の状態も違う。
それでも繰り返し身体に向き合っていると、以前より呼吸が深くなっていたり、必要のない力に気づけるようになったりします。
大きな変化ではないかもしれません。
けれど、その小さな変化こそが、日々の実践から生まれた実りです。
ヨガでは、結果を急ぐのではなく、そこへ至る過程そのものを大切にします。
稲穂が頭を垂れるように
実った稲は、穂に米が入るほど重くなり、少しずつ頭を垂れていきます。
そこから生まれたのが、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉です。
知識や経験を重ねた人ほど、謙虚になる。
そんな人の在り方を、実った稲穂になぞらえた言葉です。
ヨガも、長く続けるほど「できること」を増やすだけではなく、自分の身体について知らないことや、思い通りにならないことにも気づいていきます。
学ぶほど、自分を大きく見せる必要がなくなる。
実践が深まるとは、もしかするとそういうことなのかもしれません。
実ったものに気づく
私たちは、まだできていないことにはよく気づきます。
もっと柔らかくなりたい。
もっと上手になりたい。
もっと落ち着いていたい。
けれど、ときには自分がすでに育ててきたものにも目を向けてみる。
以前より身体を大切にするようになった。
呼吸に戻れるようになった。
疲れたときに休めるようになった。
そうした変化も、立派な実りです。
次へ進むことばかりではなく、ここまで育ってきたものを確かめる時間も大切なのではないでしょうか。
スタジオからのひとこと
9月2日〜7日。
田んぼの稲が実り、少しずつ頭を垂れ始める頃。
この時期は、これからのことだけではなく、一度ここまでの自分を振り返ってみてください。
続けてきたこと。
乗り越えてきたこと。
少しずつ変わってきたこと。
自分では当たり前になっていても、振り返ってみれば、そこにはたくさんの小さな実りがあるはずです。
そして、その実りを確認したら、また淡々と日々を重ねていく。
稲が季節に従って育つように、変化を急ぐ必要はありません。
どうぞこの時期は、
「これまでの積み重ねを感じるヨガを」
豆知識 禾乃登(こくものすなわちみのる)
「禾乃登」の「禾」は、稲や粟、稗、麦など、穂をつける穀物の総称として使われる文字です。
そして「登」には、単に上へ「のぼる」だけではなく、古くは穀物が成熟する、実るという意味もありました。そのため「禾乃登」は「こくものすなわちみのる」と読み、穀物が実り始める頃を表しています。
ただし、実りの時期は同時に、台風が多くなる時期でもあります。
長い時間をかけて育った稲が、収穫を目前に風雨にさらされることもあります。
だからこそ昔の人々にとって、秋の実りは決して「当たり前」のものではありませんでした。
種を蒔く人がいて、育てる時間があり、自然の恵みがあり、ようやく食卓へ届く。
禾乃登は、秋の訪れだけでなく、日々口にするものの背景にある時間や営みに目を向ける季節でもあります。
