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【読むヨガ】白露 末候 玄鳥去(つばめさる)
2026年9月18日〜9月22日は、七十二候のひとつ、玄鳥去(つばめさる)
春に日本へやってきた燕たちが、子育てを終え、暖かな南の地域へと渡り始める頃です。
「玄鳥(げんちょう)」とは燕の古い呼び名。
春の七十二候には、燕がやってくる「玄鳥至(つばめきたる)」があります。
春に訪れ、夏を過ごし、秋になると去っていく。
私たちの暮らしのすぐそばで子育てをしていた燕たちは、季節の変化を感じ取り、再び長い旅へと向かいます。
玄鳥去は、去ることもまた、自然の営みのひとつであることを感じさせる季節です。
始まりがあれば、終わりがある
春、燕がやってきたときには、小さな命の始まりを感じました。
巣をつくり、卵を産み、雛を育て、やがて巣立っていく。
そして秋になると、その場所から離れていきます。
自然の中では、始まることと終わること。
出会うことと別れること。
生まれることと去っていくこと。
そのどちらも、同じひとつの流れの中にあります。
私たちは「始まり」を歓迎する一方で、「終わり」には寂しさを感じることがあります。
けれど、終わるからこそ、次の季節が始まります。

ヨガと「手放すこと」
ヨガの哲学には、**アパリグラハ(不貪・不保持)**という教えがあります。
必要以上に所有しないこと。
そして、何かを自分のものとして握り続けないこと。
それは物だけではありません。
過去の成功。
誰かからの評価。
こうあるべきという考え。
以前の自分。
私たちは知らないうちに、さまざまなものを握りしめています。
手放すというと、何かを失うように感じるかもしれません。
けれど、ヨガにおける手放しは、何でも捨てることではありません。
今の自分に必要なものと、もう役割を終えたものを見分けていくこと。
それも、自分を観察する実践のひとつです。
留まらないから、巡っていく
燕は、同じ場所に留まり続けることで生きているわけではありません。
季節に合わせて場所を変え、海を越え、長い距離を移動します。
そして春になれば、再び日本へ戻ってきます。
自然には、留まることだけではなく、動くことで保たれる循環があります。
呼吸も同じです。
息を吸ったら、吐く。
吐いたら、また吸う。
吸った息をずっと身体の中に留めておくことはできません。
受け取り、手放す。
その繰り返しによって、呼吸は続いていきます。
ヨガの時間に呼吸を感じることは、この単純で大切な循環を身体で確かめることでもあります。
「去る」ことは、なくなることではない
燕が空から姿を消しても、燕そのものがなくなるわけではありません。
私たちから見えない場所で、旅を続けています。
そして季節が巡れば、再びその姿を見ることができます。
日々の中でも、何かが終わったとき、「なくなった」と感じることがあります。けれど、経験したことや学んだことまで消えるわけではありません。
形は変わっても、自分の中に残り、次へとつながっていくものがあります。
だからこそ、終わりを無理に引き止めず、終わったものは、終わったものとして見送る。
それも次へ進むための大切な時間なのかもしれません。
スタジオからのひとこと
9月18日〜22日。
燕が南へと旅立つ頃。
この時期は、自分が今、握りしめているものに少し目を向けてみてください。
もう必要のなくなった習慣。
過ぎたことへのこだわり。
「こうでなければならない」という考え。
無理に捨てる必要はありません。
ただ、それが今も必要なのかを静かに観察してみる。
そして役割を終えたものなら、少しずつ手を緩めてみる。
燕が次の季節へ向かって飛び立つように、手放すことで、新しい方向へ進めることがあります。
どうぞこの時期は、「握りしめているものに気づくヨガを」
豆知識|玄鳥去(つばめさる)
「玄鳥」の「玄」は黒や暗い色を表す言葉で、玄鳥は燕の古い呼び名です。
燕は春になると日本へ渡ってきて、人家の軒先などに巣をつくり、子育てをします。そして秋が近づくと群れをつくり、東南アジアなどの暖かな地域へ渡っていきます。
七十二候には、春の清明の頃に「玄鳥至(つばめきたる)」秋の白露の頃に「玄鳥去」が置かれています。
つまり、一年の暦の中で、やってくる燕と、去っていく燕の両方を見ている。
春には「来ること」から季節を知り、秋には「去ること」から季節を知る。
同じ燕の姿を通して、自然の循環を表しているところも、七十二候のおもしろさのひとつです。
春に迎え、秋に見送る。
季節は、その繰り返しの中で巡っていきます。
