Blog
【読むヨガ】秋分 初候 雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
2026年9月23日〜9月27日は、七十二候のひとつ、雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
夏の間、空に響いていた雷の音が、次第に聞かれなくなっていく頃です。
強い日差し、蝉の声、夕立、雷。
賑やかだった夏の気配がひとつずつ遠ざかり、季節は静かな秋へと移っていきます。
「収」という字には、おさめる、しまうという意味があります。
何かが突然なくなるのではなく、これまで外へ向かっていたものが、ゆっくりと静まっていく。
雷乃収声は、そんな季節の変化を表しています。
静けさは、音がないことだけではない
夏の雷は、遠くからでもその存在が分かります。
空が暗くなり、風が変わり、大きな音が響く。
それに比べて、雷が鳴らなくなったことには、なかなか気づきません。
「あるもの」には気づきやすくても、「なくなったもの」には気づきにくい。これは、私たちの身体や心にも似ています。
いつの間にか肩の力が抜けていた。以前ほど焦らなくなっていた。
気になっていたことを考えなくなっていた。
変化とは、何かが増えることだけではありません。
余計なものが静かになっていくことも、ひとつの変化です。

ヨガの後に訪れる静けさ
ヨガでは、身体を動かすことに目が向きがちです。
けれど、アーサナのあとに身体を静かにしてみると、動いている最中には気づかなかった感覚が現れます。
呼吸がゆっくりしている。
身体の緊張がほどけている。
頭の中の考え事が少なくなっている。
何かを「する」ことをやめたときに、初めて感じられるものがあります。
ヨガは、動くことだけではなく、動いたあとに訪れる静けさを感じる時間でもあります。
静かにするのではなく、静まっていく
心を落ち着かせようとすると、「考えてはいけない」「もっと集中しなければ」と、かえって力が入ることがあります。
けれど、雷乃収声の季節を見ていると、自然は無理に静かになろうとしているわけではありません。
季節が巡り、気温や空気が変わる中で、夏の雷は少しずつ遠ざかっていきます。
呼吸も同じです。
無理に静めようとするのではなく、身体を動かし、呼吸を調え、その変化を見ている。すると、心も少しずつ落ち着いていくことがあります。
「静かにする」のではなく、「静まっていく」
その違いを身体で感じることも、ヨガの大切な経験です。
外へ向かう季節から、内へ向かう季節へ
雷乃収声は、二十四節気の秋分の初候にあたります。
秋分を境に、北半球では昼より夜の時間が長くなっていきます。
春から夏にかけて、自然は芽吹き、花を咲かせ、葉を茂らせてきました。そして秋になると、実りを迎えながら、少しずつ活動を収めていきます。私たちも、季節とまったく同じように暮らす必要はありません。それでも、ときには外へ向かい続けている意識を、自分の内側へ戻してみる。
身体はどう感じているのか。
呼吸はどうなっているのか。
今の自分には何が必要なのか。
秋は、そんな問いに静かに向き合いやすい季節です。
スタジオからのひとこと
9月23日〜27日。
夏の雷が声を収め、秋の静けさが少しずつ深まっていく頃。
この時期は、何かを増やすことだけでなく、静かになってきたものにも目を向けてみてください。
以前より力を抜けるようになったこと。
気にならなくなったこと。
手放せるようになったこと。
そこにも、日々の積み重ねによる変化があります。
ヨガの時間も、ポーズが終わったらすぐに次へ進むのではなく、その後に残る呼吸や身体の感覚を少し味わってみる。雷が遠ざかったあとの空のように、そこには、それまで気づかなかった静けさがあるかもしれません。
どうぞこの時期は、「静まっていく感覚を味わうヨガを」
豆知識|雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)
雷乃収声は、春分の頃の七十二候、「雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)」と対になっています。
春には雷が鳴り始め、秋にはその声を収める。昔の人は雷の音にも季節の巡りを感じ取っていました。
実際には、秋になれば雷がまったく発生しなくなるわけではありません。日本では秋から冬にも雷が発生し、特に日本海側では冬の雷もよく知られています。
七十二候は「この日から雷が鳴らなくなる」という気象上の境界を示すものではなく、夏に多く感じられた雷が次第に収まっていく季節感を表した言葉として捉えるとよいでしょう。
そして「雷乃発声」と「雷乃収声」
春と秋に置かれた二つの候を並べてみると、始まるものがあり、やがて収まるものがある。
七十二候が一年を一本の線ではなく、巡り続ける循環として捉えていることがよく分かります。
