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【読むヨガ】秋分 末候 水始涸(みずはじめてかる)
2026年10月3日〜7日頃、七十二候は、水始涸(みずはじめてかる)を迎えます。
「水が涸れる」と聞くと、川や池の水が少なくなる様子を思い浮かべるかもしれません。
けれど、この候が表しているのは、主に稲の収穫を前に、田んぼの水を抜いていく頃の風景です。
春から夏にかけて水をたたえていた田んぼから水が引き、土が少しずつ姿を現す。稲は黄金色に実り、収穫の時を迎えます。
水を満たして育てる時間から、水を引いて実りを受け取る時間へ。
水始涸は、満たすことだけが、育てることではないと教えてくれる季節です。
足すことと、引くこと
私たちは、何かを良くしようとすると、つい「足す」ことを考えます。
もっと学ぶ。
もっと運動する。
もっと努力する。
もっと新しいものを取り入れる。
足すことで得られるものは、もちろんたくさんあります。けれど、田んぼでは稲が十分に育つと、それまで必要だった水を引いていきます。
育てるために必要だったものが、ずっと必要とは限らない。時には、減らすことで次の段階へ進むことがあります。

ヨガでも「やりすぎない」
ヨガでも、つい何かを足したくなることがあります。
もっと深くポーズをとる。
もっと長くキープする。
もっと強く伸ばす。
けれど、身体は力を加えれば加えるほど整うわけではありません。
必要以上の力を抜いたとき、呼吸が通りやすくなったり、身体が自然に動きやすくなったりすることがあります。
そこで必要なのは、「何もしない」ことではなく、今の自分に、どこまでが必要なのかを感じること。
足りないものを探すだけでなく、余計なものに気づいていく。それもヨガの大切な実践です。
余白があるから、見えてくる
水が引いた田んぼでは、それまで水面の下にあった土が現れます。
私たちも、予定や情報、考え事でいっぱいになっていると、自分の状態が見えにくくなることがあります。
何もしない時間を少しつくる。
スマートフォンを置く。
予定を詰め込みすぎない。
呼吸をただ感じる。
余白が生まれると、「少し疲れていたんだな」「本当は急ぐ必要がなかった」そんなことに気づくことがあります。
余白とは、何もない場所ではなく、気づくための空間なのかもしれません。
満たすことから、減らすことへ
前候の「蟄虫坏戸」では、虫たちが外での活動を収め、内へと戻っていく姿を見ました。そして水始涸では、水を引いていきます。
秋が深まるにつれ、自然は少しずつ「増やす」方向から「減らす」方向へと移っていきます。
それは、失われていくということではありません。
春から夏に育ててきたものが十分に実ったからこそ、次の段階へ進むために必要な変化です。
私たちにも、足す時と、引く時があります。
いつも成長し続けようとしなくていい。
いつも何かを得ようとしなくていい。
ときには、すでに十分にあるものに気づき、余計なものを減らしていく。
秋は、そんな方向へ意識を向けるのに似合う季節です。
スタジオからのひとこと
10月3日〜7日。
田んぼから水が引き、稲が収穫へ向かう頃。
この時期は、「何を足そうか」ではなく、「何を減らせるだろう」と考えてみるのもいいかもしれません。
身体に入っている余計な力。
詰め込みすぎた予定。
いつの間にか増えた情報。
「もっとやらなければ」という考え。
すべてを手放す必要はありません。
今の自分に必要なものを残し、必要以上に抱えているものを少し減らしてみる。
水を引いた田んぼに土が現れるように、余計なものが少なくなることで、自分にとって本当に大切なものが見えやすくなることがあります。
どうぞこの時期は、「足すことより、余計なものを減らすヨガを」
豆知識|水始涸(みずはじめてかる)
「涸」という字には、水がなくなる、乾くという意味があります。
ただし「水始涸」は、秋になって自然界の水が一斉に涸れるという意味ではなく、一般には稲刈りを前に田んぼの水を抜く時期を表した候とされています。
稲作では、収穫前に田んぼへの水を止める「落水」が行われます。田面を乾かすことで、収穫期の作業をしやすくするなどの意味があります。
もちろん、落水の時期や方法は品種、地域、天候、栽培方法などによって異なるため、七十二候の日付と実際の農作業が全国一律に一致するわけではありません。
前の「禾乃登」では、穀物が実り始める姿を見ました。
そして約一か月後の「水始涸」では、その実りを収穫するために水を引いていく。
育てるために満たし、実ったら引いていく。
七十二候には、自然そのものだけでなく、自然とともに暮らしてきた人々の営みも刻まれています。
