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【読むヨガ】寒露 末候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)
2026年10月18日〜22日頃、七十二候は、蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)を迎えます。
秋が深まり、虫たちの声が家の戸口近くでも聞こえるようになる頃です。
「蟋蟀」という字は、現代では一般に「コオロギ」と読みますが、七十二候では古くから「きりぎりす」と読まれてきました。
ただし、ここでいう「きりぎりす」は現代のキリギリスだけを指すというより、秋に鳴くコオロギなどの虫を含めて捉えた言葉と考えられています。
昼間の賑やかさが落ち着いた秋の夜。
ふと耳を澄ませると、草むらや庭先から虫の声が聞こえてくる。
蟋蟀在戸は、静かになったからこそ気づけるものについて考えさせてくれる季節です。
静けさの中で、聞こえてくるもの
夏には、蝉の大きな声が街を包みます。
それに比べると、秋の虫の声は控えめです。
こちらが意識を向けなければ、気づかずに過ぎてしまうこともあります。
でも夜になり、周囲が静かになると、「あ、虫が鳴いている」と気づく。虫の声が突然大きくなったわけではありません。
周りが静かになったことで、それまで聞こえなかった音が聞こえるようになった。
私たちの身体や心にも、似たことがあります。
自分の声が聞こえなくなるとき
毎日の生活には、たくさんの「音」があります。
仕事。
予定。
人からの言葉。
ニュース。
SNS。
スマートフォンから次々に届く情報。
外から入ってくるものが多くなるほど、自分自身の小さな感覚は聞こえにくくなります。
本当は少し疲れている。
今日は静かに過ごしたい。
身体のここに力が入っている。
呼吸がいつもより浅い。
身体は何かを伝えていても、外側が賑やかすぎると、その小さなサインに気づけません。
だから、ときには外を静かにする。
何か新しい答えを得るためではなく、すでに自分の中にあるものを感じるために。
ヨガは、感覚を鋭くすることではなく
ヨガを続けていると、「身体の感覚が分かるようになった」と感じることがあります。
それは、今までなかった感覚が新しく生まれたというより、以前から身体にあった小さな変化に気づけるようになった、と考えることもできます。また無意識を意識化する事ができるようになった。
足の裏が床に触れている。
呼吸とともに肋骨が動いている。
肩に余計な力が入っている。
吐く息で身体が少し緩む。
どれも特別なことではありません。
身体では、いつも起きていることです。
ヨガでは、外へ向いていた意識を少し自分へ戻すことで、普段なら通り過ぎてしまう感覚を観察します。
感じる力を無理に高めるのではなく、感じるための静けさをつくる。
秋の虫の声に耳を澄ませることと、どこか似ています。
「聞く」のではなく「聴く」
音は、耳に入ってきます。
けれど、耳に入っていることと、その音に気づいていることは同じではありません。
これは人との会話でも同じです。
相手が話している間に、
「次に何を言おう」
「自分ならこう思う」
と考えていれば、言葉は聞こえていても、十分に聴けていないことがあります。
自分自身に対しても同じかもしれません。
すぐに答えを出すのではなく、まず聴いてみる。
すぐに身体を変えようとするのではなく、まず感じてみる。
判断する前に、観察する。
それは、ヨガで大切にしたい姿勢のひとつです。

何かを足さなくても、そこにある
前候の「菊花開」では、それぞれに花開く時間があることを考えました。
今回の「蟋蟀在戸」では、少し違う角度から自分を見てみます。
私たちは何かを変えたいとき、新しいものを足そうとします。
もっと知識を。
もっと経験を。
もっと努力を。
けれど、いつも足す必要があるとは限りません。
周囲の音を少し減らすだけで、聞こえてくるものもあります。
何かを探しに行く前に、一度静かになってみる。
すると、自分がすでに感じていたことに気づくかもしれません。
スタジオからのひとこと
10月18日〜22日。
夜になると、虫の声が身近に感じられる頃です。
この時期は、少しだけ静かな時間をつくってみてください。
スマートフォンを置いてみる。
目を閉じてみる。
呼吸を感じてみる。
そして、何か特別なものを感じようとしない。
今聞こえている音。
今感じている身体。
今の呼吸。
そこに意識を向けるだけで十分です。
静かになることで、初めて気づけるものがあります。
この季節は、「静けさの中で、自分の声を聴くヨガを」
豆知識|蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)
ユーザー表記の「蟋蟀在戸(しっそくこにあり)」は漢字を音で読んだ形ですが、七十二候として一般的な伝統的読みは、「きりぎりすとにあり」です。
少しややこしいのが「蟋蟀」という漢字。
現在の日本語では一般にコオロギを意味します。一方、古い日本語では「きりぎりす」という言葉が、現在のコオロギ類を指して使われることがありました。
たとえば『万葉集』や『古今和歌集』など、古い文学に登場する「きりぎりす」も、現代の分類上のキリギリスと単純に同じとは限りません。
そして「在戸」は、戸口にいるという意味。
気温が下がり、秋の虫たちの声が草むらだけでなく、人家の近くでも感じられるようになる様子を表しています。
日本では古くから、秋の虫の声を単なる物音ではなく、季節を味わうものとして楽しんできました。
姿を見るのではなく、声から季節を知る。
在戸には、目だけではなく耳を使って自然の変化を感じ取ってきた、日本の季節感が表れています。
